Angkor Wat – Ta Prohm, Angkor Wat

アンコールワットツアー3日目。

この日は早起きしてアンコールワットの朝日観賞に参加。6時半には日が昇るということで、ホテルを5時半出発。角度が難しく、最初はぼんやり朝日に染まるアンコールワットを眺めていましたが、ちょっと移動して角度を変えることで、まんまる朝日の撮影がかないました。

日の出鑑賞って、不思議とヒトを敬虔な気持ちに導くようです。必要以上に「ありがたや~」な気持ちになりました。

そして朝食後の午前中はバンデアイクディとタプロム寺院観光。

ガジュマルの木の根が包み込んだ建物が、むしろ神秘的に見えました。

今回は乾季に訪れたので雨知らずでしたが、雨季には樹々の芽がぐんぐん伸びるとのこと、今後の遺跡群の痛みを留めることも難しいことがわかり、心配になりました。

そしていよいよ午後に本丸アンコールワットの観光となりました。

第一回廊のレリーフを眺めたと、第二回廊の仏像。

旅程には、第三回廊はスキップと書いてあったものの、希望者あれば、とのガイドさんの声があり、めでたく第三回廊観光ができました☆ 1回100名しかあげないように人数調整しているようす。急な階段はちょっとコワかったですが、絶好な眺望に恵まれてすばらしい時間を過ごすことができました!(今後は施設メンテ等の事情で同様にはいかないようです)

 

Angkor Wat – Beng Mealea, Angkor Thom

アンコールワットツアー2日目。

自由行動の午前中は、「天空の城ラピュタ」のモデルになったといわれているベンメリアのオプションツアーに参加。

こちらはシュムリアップの中心部から1.5時間程度、ちょっと遠かったですが、観光客は充分たくさん。カラフルに装った海外の観光客ツアーの賑わいがかぶって、欲しい写真を撮るのにもちょっと難儀でした。。

とはいえ、なるほどラピュタの島のイメージ。寺院の回廊を護るように樹々の根が張り巡らされているような空間が幻想的でした。

そして午後はアンコールトム観光。大きな観世音菩薩像がたくさんあるのが特徴の寺院です。

下の方の回廊にはレリーフもあり、かつての歴史の片鱗を覚えることができます。

大きな観世音菩薩は4面塔第三回廊テラスに49あるとのこと。および四方+1の門を加えて54あるものの、どれひとつとして同じ顔がないとのこと。コピペなんてない時代だから当たり前でしょうが、ひとつの顔が形成するブロックを見ると、相当な時間をもって仕上げていただろうことは明白。かなり大きなサイズの医師の組み合わせで形成されていることについても、寺院建造に参加していた人々がどのように仕事に臨んでいたのか、たいへん興味深い仕事ぶりでした。

Angkor Wat – Roluos, Banteay Srei

アンコールワットツアーに参加した初日は、ロリュオス遺跡(ロレイ・プリアコー・バコン)とバンテアイ・スレイの観光でした。

紀元900年周辺に築かれた遺跡が、シュムリアップの街の中心部から30分~1時間のところにあります。

いずれもジャングルの中にあったところを発見されて、今のように観光しやすい形に落ち着いているようです。

バンテアイスレイは、「東洋のモナリザ」で有名だそうです。かつてフランス人作家が盗掘して持ち出そうとしたことが理由で、有名になってしまった経緯だとか。砦に左右対称に同様に美しい女神像があるので、東洋のモナリザだけが有名なのは納得いかない感ありました。とはいえ、これだけの時間を経て風雨にさらされていながら、レリーフが美しく残っていて驚きでした。

この度、数々のお寺がヒンズー教や仏教を信仰したお寺として紹介され、ヒンズー教だと、シヴァ神・ヴィシュヌ神・ブラフマー神のどれかをシンボルに据えたとの説明がありました。おかげで、ヒンズー教のシンボルをいくつか覚えることができました。

そらで言える自信はないのでヒンドゥー教の三大神を参照

近世以降、ヒンドゥー教では「三神一体論(トリムルティ)」とよばれる教義が唱えられます。この教義では、本来は一体である最高神が、三つの役割「創造、維持、破壊」に応じて、三大神「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ」として現れます。

神の乗り物としての象、牛、ガルーダや欄干の蛇など、重ねて現れる動物たちに、親しみを感じるまでになったほどでした。

Angkor Wat Tour

先日、阪急交通社のツアーで、アンコールワット+シンガポールに行ってきました。「#<マリーナベイ・サンズに泊まる(5日目)>シンガポールと神秘のアンコールワット6日間」というタイトル。カンボジア・シュムリアップで3泊、アンコール遺跡群をたくさんめぐった後に、シンガポールへ移動、話題のマリーナ・ベイ・サンズに1泊して帰ってくるという盛りだくさんな旅程に興味惹かれて参加してきました。

春が近づいているとはいえ、まだまだコートが手放せない東京から、ギラギラした陽射し、うだるような暑さの空間へ、小気味よい転換でした。

アンコール遺跡群は、シュムリアップの街中に複数点在していて、ツアーだからこそ効率的にたくさんの遺跡をめぐることができ、とてもよかったです。どちらかというと、こんなにあるの・・・といった感想がこぼれそうになるほどです。

現地のガイドさんが日本語で案内してくれたおかげで、その場その場に応じた見どころを楽しむこともできました。ただでさえ、カタカナ語が複雑で覚えづらいこともあり、観光ガイドブック片手では、とても頭に入ってこなかったので助かりました。

アンコールワットは相当有名なので、ずいぶん前から認知していましたが、建物として創られた時代→ポルポト内戦の時代→現在、という歴史とともにあったことを教わり、認識をあらためました。

悠久の歴史と自然のコラボレーションという表現が適しているかどうか不明ですが、そんな遺跡群をめぐった仕上げにすこぶる最新鋭のホテル滞在。メリハリのあるオモシロ満載のよい旅行でした。参加できてよかったです。

旅の備忘録がてら、この後しばし旅程に沿ってレポートします。よろしければおつきあいください☆

Shumen 3, Bulgaria

PhotoGrid_1454098787295シュメン訪問の折、その近郊にある街でブルガリア帝国時代の遺跡めぐりができたので備忘録です。

プリスカ Pliska

シュメン市から30 kmほど外れた場所に、ブルガリア初の首都プリスカの遺跡があります。681~893年の間第1ブルガリア王国の首都でした。
この場所が首都となったのは、穏やかな高台に囲まれたこの平地が家畜の養殖に最適だったから、そして重要な道路の交差点にもなっていたことが起因しているそうです。

遺跡全貌のイメージを写真で見ると、かなりの広さの都市だったことがうかがえます。この日は雪で歩きづらく、全体像をはかるには、少しばかり難しく。そんな事情も承知してか、城跡見学のためのチケットブースは無人でした・・・。中の博物館でようやくチケット購入した形です。

城跡の説明はなかなかシンプルでしたが、ていねいに修復もされ、歩いて&見て楽しい空間でした。博物館には出土品の数々が展示され、描かれた文字や意匠などの解説が添えられていて、興味深い空間になっています。なお、ここから 1 km ほどのところにゴリャマ・バジリカという中世の教会跡も。

この時期に訪問したからこそ、人気のない空間でしたが、時期を選べば、なかなかの人の入りなのでは?と期待しました。

PhotoGrid_1454099437074マダラ Madara

こちらもシュメンから 18 kmほど。切り立った断崖に刻まれたレリーフが見どころ。なにげに世界遺産に登録されています(1979年)。

レリーフは、犬を従え、ライオンを踏みつける槍を持った騎士の姿。中世初期に描かれたものだそうで、23 m の高さにあるとのこと。現在も修復中なのか、足場が組まれています。

入口からレリーフまで、まっすぐに石の階段が組まれ、単に見学して戻るだけでよければ、15分もあれば完結してしまう、なかなかシンプルな世界遺産です。

石灰石でできた岩山なんでしょうか、見上げるようにそびえる岸壁に、レリーフが描かれているサマは、なにやらとても神秘的で、一見の価値ありと思ったのでした。マダラの街に、これ以外の観光ポイントが見当たらないのが少し残念ですが、世界遺産ですし、ちょっと立ち寄って拝んでいくのは、悪くない選択だと思います。

 

karta2_ENもう一つ、プレスラフ Preslav という街があります。こちらは第一次ブルガリア帝国が893年に遷都されたのちに栄えた都市。こちらの遺跡も見どころ満載のようですが、この度は時間切れでたどり着けず。冬は日の落ちるのが早いので、なかなか時間繰りが難しいです。時間の余裕をもって、次回リベンジができますように。

ご参考までに、ヴァルナとシュメン近郊の地図です。その間のプリスカ・マダラ・プレスラフの位置関係がつかみやすいかと。

Roman Baths, Varna, Bulgaria

PhotoGrid_1453477220904またまたいまさらのヴァルナ観光情報。今回は古代ローマの公衆浴場跡地。ここヴァルナにもあります。

旧市街の一角にまわりをアパートに囲まれるようにして、石造りの遺跡がけっこうな敷地面積をもって残されています。歴史は紀元前2世紀までさかのぼるもので、広さ7000平米、バルカン半島では最大の浴場遺跡だそうです。

2016年1月下旬時点では、正規の入口が工事中で、仮設入口から入るようになっていました。他に観光客の姿が見当たらず、ちょっとビビってしまい、入場を見送ったので、中の紹介はできません。有料(4 BGN)のよう。外から見る限りでも、かなりしっかりしたつくりで、2~3階建てで、様々な部屋のレイアウトが比較的きれいに残っている風でした。

PhotoGrid_1453477377276Wikipediaの「古代ローマの公衆浴場」で紹介しているテルマエのつくりがそのままあるようですから、黒海に面した港町として栄えた過去があったのだろうと思われ、また折を見て、勇気を出して中を散策してみようと思ったのでした。

ちなみに、浴場遺跡跡のすぐ脇に St. Athanasius Church があります。遺跡の一部のようですが、1838年に建てられたものとのこと。大塩平八郎の乱がおきたのが1837年ですから、日本はそんなころのことです。十分旧いものの、遺跡に比べると桁違い。ヒトの感覚とは面白いもので、すぐ隣の遺跡と並ぶとずっと新しいもののように感じてしまいがち。この頃の寒さで、庭の水たまりが完全に凍り付いていました。