sushi – Japanese Food

sushi海外で見かける日本食の一番をかざるのがスシだと思われます。統計データを見たわけでもなんでもない感覚的なものなので、ご容赦ください。たいていが、巻物になっていて、日本では考えられないネタのとりあわせだったりしますが、すし飯をつかって、すしネタと一緒に供するあたりは、まさしく「スシ」とうなずきます。

たいへん面白いことに、海外のみなさん、特に日本に足を運んだこともない、足を運ぼうと思ったこともないみなさんは、日本人はスシばかり食べていると思っているようです。こちらの見解の信ぴょう性も、統計データ等ないので、どのくらいの規模のものか、わかったものではありませんが、実際に聞いた声であることは、間違いありません。お寿司は日本食の中では贅沢品で、そんなに頻繁に口にする機会はない。通常の日本食は、白米におかずの組み合わせでが基本。といった説明を聞くと、まさか?!みたいな反応が返ってきます。まあ、一般的な日本食を提供するお店なんて、そうそうないので仕方がないかもしれません。

関連サイト:日本人は寿司を毎日食べないのか? 海外の反応。(海外反応! I LOVE JAPAN )

ただ、○○料理といったときに、日本ではその国現地の味、もしくは日本にローカライズしたその国の料理を楽しませてくれる一方で、海外の(全部じゃないとは思いますが)日本料理が、けっこういい加減な形で、提供されているのは、なんだか残念です。

こうしたギャップが生まれるのは、国民性なんでしょうか?ちょっと自分なりに考えてみたこと:

「海外のみなさんにとって、スシはエンタテインメントなのでは?」

まずはスペシャルなビジュアル、箸を使う特殊な食べ方、魚介豊富でないエリアでもおかまいなしでスシやがある、スシ=魚介ではない?というあたりを根拠に、こんな仮説をもってきてみました。

回転寿司を生んだのも日本(1958年 大阪 元禄寿司)なので、一概にスシのエンタ性を四の五の言えませんが、オリジナルのスシがあって、回転寿司がああるあたりの経緯など、もうちょっときちんと理解されるだけの興味を得られる「和食」であってほしいと思います。

和食がユネスコの無形文化遺産として登録されたのは、2013年12月4日。「和食」の食文化が自然を尊重する日本人の心を表現したものであり、伝統的な社会慣習として世代を越えて受け継がれていると評価されてのことだそうです。いろいろ調べてみると、これを機に和食検定なども生まれているそうですが、上述のスシに限らず、和食が正しく守られて伝承される文化、教育の環境を、上手にはぐくんでもらいたいと思います。受け身な発言ですみません。。。

※写真はドイツ、バドホンブルグにある海王という和食レストランでいただいたお寿司です。

tea

tea-goodsドイツで暮らすようになって、連れの影響から、お茶を飲んでいます。東京にいる頃は、がぜんコーヒー党だったので、大きな変化です。

お茶と一口に言っても、紅茶・緑茶・日本茶・中国茶など、さまざまで、色も味も異なります。個人的な好みからいうと、ジャスミン茶が好きで、よく飲みます。

過去、日本の文化をたしなむならば、簡単な茶道のイロハくらい学びたい、と、月に一度半年間の計6回、東京ミッドタウンのThe Cover Nipponの茶道ワークショップに通ったことがありました。去年の秋のことだったかと。テーブル着席での、比較的気軽なスタイルでの作法で、超初心者の私には、とても親しみやすいものでした。マスターするには、ハードルが高いことを痛感したものの、美味しいお茶を入れる技術があること、そして、作法に従っていただく「お茶」へのリスペクトと楽しみ方も学びました。気持ちと時間の余裕を持つことの重要性もしかり。

そこから派生して、手に取った本が『一億人の茶道教養講座 (淡交新書) 岡本浩一 』。茶道に興味を持った人、まさに私のような初心者でも、理解しやすく幅広い茶道関連の知識をまとめていて、その頃のマイブームを深めてくれました。

お茶とお花が、花嫁修行の一環のように言われるように、やはり、茶道と聞くと、やまとなでしこの画がうかびがちですが、歴史を紐解くと、鎌倉時代に、栄西が中国から茶の苗木を持ち帰ったところから始まり、茶の湯の作法が確立され、武士など支配階級が愛好していた様子がうかがえます。お茶を楽しむことが、特に殿方の手によって、文化として発展していった事実そのものが興味深いです。

ワークショップを通じて初級者程度になったものの、茶道の作法については、いまだ礼儀作法の観点で敷居の高いものを感じます。簡単なお茶道具一式持ってきたのに、眠りっぱなしです。そんな一方で、街のお茶屋さん(無論、紅茶等の茶葉を売る店です)では、どこでも茶筅や抹茶茶碗など茶道具を置いています。ドイツでも消えない需要があるんでしょうか、わかりません。

思い出したかのように、あらためてお茶のまねごとから始める、いい機会かもしれません。ん、抹茶の再手配からかも・・・

後日編集)

日本では、お茶について、日本茶、紅茶、中国茶とが、別々に専門店として存在することを思い出しました。一方、ドイツでは、すべてのお茶を専門店で一括に扱っています。よって、日本の茶道具もついでで扱っているのかもしれません。とはいえ、たいへん特殊な飲み方である抹茶を楽しむ茶道具を、ついでとしてながらも、そろえてしまうほどに、抹茶文化がジワジワと浸透しているようで、面白いです。

kawaii

brussels-kawaiiベルギー、ブリュッセルを、一日散策して巡り合った、かわいらしいものたちを写真におさめ、ひとつのコラージュを仕立てました。私の感覚においては、美味しいベルギービールもかわいらしいものの仲間です。

かわいいという言葉、すでにオックスフォード辞書に[kawaii]という英単語として掲載されています。名詞・形容詞どちらでも使えるようです。一方の、かわいいという表現を意味する英単語は、cute, sweet, nice, gentle, charming, darling, precious, lovable, adorable などなど、数々あげられ、状況によって使う単語も変わるようです。なかなか難しいです。

平安中期に活躍した清少納言も、春はあけぼの・・・にはじまる随筆「枕草子」にかわいらしいものをあげていました。以下その冒頭を抜粋:

うつくしきもの。瓜にかぎたるちごの顔。すずめの子の、ねず鳴きするに踊り来る。二つ三つばかりなるちごの、急ぎてはひくる道に、いと小さきちりのありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人などに見せたる。いとうつくし。頭は尼そぎなるちごの、目に髪のおほえるをかきはやらで、うちかたぶきてものなど見たるも、うつくし。

現代語訳)かわいらしいもの。瓜に書いた幼い子供の顔。すずめの子が、人がねずみの鳴きまねをすると跳ねてやってくること。2、3歳ぐらいの子供が、急いではいはいしながらよってくる途中で、とても小さなほこりがあったのを目ざとく見つけて、とてもかわいらしい指でつかまえて、大人などに見せた様子。髪型をおかっぱにしている子供が、目に髪がかぶさっているのにそれを払いもせず、首を少しかしげて物など見ているのも、かわいらしい。

かわいらしい、という感覚を刺激するツボは、ひとそれぞれだと思います。が、たいてい、視覚から入って、その記憶などともリンクしながら、嬉しい感覚を湧き起こすもの、と、定義できるように思われます。ここについては、時代も国境も、言語のカベも、大きく影響しないのではないでしょうか。日常、かわいらしいものを見つけて、心豊かに過ごしたいものです。

ベルギービールについて備忘録:

MORT SUBITE – LAMBIC: 通常フルーツビールで愛されているビール、A la Mort Subiteで生ビールを楽しめる。LAMBICはフルーツ抜き、若干濁ったブロンド。思いの外甘味が強い。alc. 5.0%

RODENBACH: フルーティというのか、甘味の強い香りのダークカラービール。新旧ビールを混ぜてつくる製法らしい。alc. 5.4%

Tripel Karmeliet: トラピストビール。トリプルならではの、うっすらとした麦の味わいを持ちつつ薫り高いブロンドビール。alc. 8.4%

 

on’na no tashinami (Taka Kimura)

kimura-taka1女の嗜み-今、伝えておきたいこと』 木村孝(角川oneテーマ21)

染色研究家で随筆家の木村孝さんが雑誌に寄稿していた随筆を一冊にまとめ、92歳になった2012年に発行したもののようです。テレビや雑誌『美しいきもの』でおなじみとは思いつつ、敷居の高そうなおばあちゃまだな・・・と、拝見していましたが、これまで、彼女の著書を手に取る機会がないままでした。今回、偶然手にしたのは、バックカバーにあった「人生の達人が伝授する 女として、妻として、幸せの作法」というテキストに惹かれたからでした。

着物愛好者な私には、たいへん機知に富んだコンテンツ満載で、「この本に遇ってよかった!」と、嬉しく楽しく読破しました。

木村孝さんは、京都の染色家のおうちに生まれ、染色の勉強もしつつ、女学校を卒業、お勤めもした上で家業を継ぎ、海外で個展を開いたりデザインを学んだり、と、稀にみる、ひらけた女性に違いありません。ですが、大上段にかまえるでもなく、特に女性に向けて、(日本)女性かくあるべき、と、おだやかに諭す、このトーンが気に入りました。90歳を超えてなお、しゃんとして人前にも出て、教えを諭す、たいていなことではありません。

私自身、着付けを習い始めて10年を過ぎました。何かあるときには、いつでもきちんと着物を着ることができる人でありたいと思っています。季節やシーンに気を払うこと、そんな小さなことにまでこの本は触れていました。こうしたことをありがたがるのは、若干古めかしい考え方かもわかりませんが、こんな人が一人くらいいても、世の中順調にまわるものです。

素敵に年をとることを目標に、日常のちょっとした心がけとともに、コツコツと美しく過ごしていきたいと思います。