Victory Day, Russia

PhotoGrid_1431236598904数日さかのぼって、5月9日。この日はロシアの戦勝記念日、かならず晴れるのだそうです。ダンナさんから、天気操作してるから晴れるのは当たり前なんだよ。と、聞いていたものの、いやいや、冗談でしょう、と、本気にしていなかったら、まさしくその話をとりあげたニュースを見つけました。

ロシアNOW)戦勝記念日がいつも好天なわけ

5月9日の大祖国戦争(独ソ戦)の戦勝記念日は、ロシアにとって極めて大切だから、悪天候などで気分を損なうわけにはいかない。そこで、最近10年ほど、天候を操る技術を用いて、パレードの前に雨雲を吹き払う慣わしとなっている。

2005年のどなたかのブログですでに報じられていたことも発見。

第四回 「晴れ薬」 必ず晴れるロシアの祝日。恐るべきロシアの天気操作技術

なお、ロシアでは、カーネーションとゲオルギーのリボンがこの日戦勝記念日のシンボルなのだそうです。シンボルについて、関連ネタを各種サイトからひろってみました。

・リボン
オレンジと黒のストライプのゲオルギーのリボン。こちらはロシアで最も尊敬される軍の勲章である聖ゲオルギー勲章のリボンのレプリカ。もともとこの勲章は200年以上もの間、戦場での偉業に対して授与されてきたもの。この2色は、戦場に立ち上る煙と炎を象徴。このリボンは第二次世界大戦中、ソ連で栄誉勲章のリボンとしてよみがえり、その後は「勝利メダル」にも用いられた。現在は戦勝記念日が近づくとあちらこちらで配布され、洋服や自動車などに結ばれ、カーネーションは退役軍人に贈られたり、慰霊碑などに献花されるそうです。

・花
勝利の日には、赤いカーネーション(красная гвоздика)がよく贈られます。これは勇気と勝利の象徴だそうです。絵葉書などにもカーネーションが描かれていることが多いです。日本だと母の日の象徴なので、イメージが違いますね。ほかにはチューリップ(тюльпан)が贈られることもあるそうです。これは幸福、誇り、栄光の象徴だそうです。

・曲と歌
大統領就任式でも流れていましたが、グリンカの曲(Славься)が演奏されていましたね。個人的にはこのメロディー好きかも。後半には日本でも知られているカチューシャ(Катюша)が演奏されています。ロシア語歌詞は戦争に行った恋人を想うパートがあって、そのことから戦時流行歌になったんですよね。ちなみに当時のロケット砲の愛称もカチューシャといいます。

・товарищ!とура!
冒頭、防衛相が軍に呼びかけるシーンがありますが、今でもтоварищ(タヴァーリシ:同志)って言うんだーって思いましたw 声をあわせてура!(ウラー:万歳)は一体感がありますね。

参考:(ロシアぶろぐ(仮)~目指せ1日1ロシアネタ~)【今日は何の日?】День Победы(勝利の日) が各地で盛大に祝われる

どこかでも書いてましたが、終戦記念日、勝ったか負けたかだけではないのですが、記念日の過ごし方の日本ともずいぶん違って、それなりの戸惑いを覚えました。いろいろ勉強になります。人生経験、豊かになるのはすばらしいことだと思います。ありがとうございます。

chrysanthemum

autumn-flowers2014昨日、9月9日はスーパームーンでしたが、重陽の節句(菊の節句)でもあったので、菊のお話。

菊はドイツ語でChrysantheme、英語でchrysanthemum(長いのでmumとの略語でも通じる)です。ドイツの花屋の店頭でも、すでに鉢植えや花束、さまざまな形で菊の花が見られます。そうです、菊の入った花束です。ちょっとした贈り物として、花屋の店頭に飾ってある作り置きの花束に、普通にモコっとした菊が混ざっています。日本では、菊は仏花のイメージが強いので、びっくりしますが、Wikipediaによると、西洋では幕末以降に菊がヒットしていったそうですから、新しい品種なんですね。おそらく菊の御紋などの、日本の文化的背景にも由来するんでしょう。花ひとつで、文化の違いを思い知るのは面白い経験です。

さて、重陽の節句について、覚書。

陽(奇数)の極である9がぞろ目で重なるから『重陽』としてお祝いをしてきた経緯があるようですが、1/7,3/3,5/5,7/7その他いずれの節句も健在の一方で、9/9はかなりマイナーのイメージ。まだまだ残暑が厳しい時期にあって、秋を思わせるこの節句がピンと来ない環境変化の影響でしょうか。

そして、菊ついでで、菊花紋章についても、覚書。

Wikipediaによれば、皇室が事実上の家紋としているのは十六八重表菊。日本の旅券表紙にあるのは十六一重表菊。過去、中国から渡ってきた菊の花が日本で愛好され、鎌倉時代、特に後鳥羽上皇が愛好して、自らの印としたことに発し、皇室の家紋として定着したとのこと。ところが江戸時代、幕府により葵紋とは対照的に使用は自由とされたため、一般庶民にも浸透し、この紋の図案を用いた和菓子や仏具などの飾り金具が作られるなど各地に広まっていった。そして、1869年(明治2年)8月25日の太政官布告第802号「十六八重表菊」が公式に皇室の紋とされた、そんな歴史があるそうです。

菊花紋は吉祥文様として、いろんな装束にも取り入れられているので、時代を踏まえながら、花弁の数に注目してみるのも、歴史文化を楽しむひとつの方法です。ぜひ次の機会に。。