国立新美術館で開催中のミュシャ展を訪れてきました。 週末だったことと、NHKの日曜美術館で取り上げられたことも手伝ってか、ものすごい行列をなしていました。 ミュシャ展の会場は2階、一方1階で開催の草間彌生展もすごい行列でした。現在、国立新美術館の敷地内、数々の草間彌生作品が飾られていて、撮影フリーらしいので、ついつい写真におさめてしまいました。 この度のミュシャ展のめだまは、チェコ国外世界初公開、超大作<スラヴ叙事詩>20作とのこと。私の中では、ミュシャといえば、アール・ヌーヴォーの優美な女性ポスターのイメージだったので、入口を抜けてすぐに広がった巨大な絵(と画を見入る人垣)に、ぎょっとしたのでした。 センセーショナルなスラヴ叙事詩の空間を抜けると、いわゆるミュシャの歴史をなぞるレイアウト、ひと安心しつつ、不勉強ながらミュシャと彼の時代背景を解説をちょいちょい読んで勉強しながらのひと時でした。 まる1世紀ほど前のこと。もう少し勉強しなければと思いました。 今回の一角に撮影フリーの空間があったので、私も撮影隊に参加してみました。 ヒトのアタマとの比較で、いかに大きな絵かおわかりいただけるかと。
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Angkor Wat Tour
先日、阪急交通社のツアーで、アンコールワット+シンガポールに行ってきました。「#<マリーナベイ・サンズに泊まる(5日目)>シンガポールと神秘のアンコールワット6日間」というタイトル。カンボジア・シュムリアップで3泊、アンコール遺跡群をたくさんめぐった後に、シンガポールへ移動、話題のマリーナ・ベイ・サンズに1泊して帰ってくるという盛りだくさんな旅程に興味惹かれて参加してきました。 春が近づいているとはいえ、まだまだコートが手放せない東京から、ギラギラした陽射し、うだるような暑さの空間へ、小気味よい転換でした。 アンコール遺跡群は、シュムリアップの街中に複数点在していて、ツアーだからこそ効率的にたくさんの遺跡をめぐることができ、とてもよかったです。どちらかというと、こんなにあるの・・・といった感想がこぼれそうになるほどです。 現地のガイドさんが日本語で案内してくれたおかげで、その場その場に応じた見どころを楽しむこともできました。ただでさえ、カタカナ語が複雑で覚えづらいこともあり、観光ガイドブック片手では、とても頭に入ってこなかったので助かりました。 アンコールワットは相当有名なので、ずいぶん前から認知していましたが、建物として創られた時代→ポルポト内戦の時代→現在、という歴史とともにあったことを教わり、認識をあらためました。 悠久の歴史と自然のコラボレーションという表現が適しているかどうか不明ですが、そんな遺跡群をめぐった仕上げにすこぶる最新鋭のホテル滞在。メリハリのあるオモシロ満載のよい旅行でした。参加できてよかったです。 旅の備忘録がてら、この後しばし旅程に沿ってレポートします。よろしければおつきあいください☆
Kachidoki, Tokyo
先日、勝どきの友人宅を訪問しました。 タワーマンションの高層階に住んでいるので、ベランダからの眺めが素晴らしくて、訪れるたびに写真撮影させてもらっています。ちょうど隅田川を見下ろすことができ、左に東京タワー、右にスカイツリーがのぞめます。なんとかとケムリは高いところが好きといいますが、例にもれず高いところが好きでして☆ 写真で一目瞭然ですが、東京の夜景は本当に美しいです。 そんな勝どき、埋め立て地であることは有名ですが、勝鬨橋がかつて橋を開くことのできた橋であることは、もう若い人たちはご存じないかもしれません。 中央区の歴史によると 勝鬨橋は、昭和15年(1940年)に隅田川河口部に築造されました。橋の中央部分を「ハ」の字型に開いて、1,000t級の大型船舶を通すことができました。勝鬨の名は、明治38年(1905年)の日露戦争の勝利を記念して、築地と月島間に新たに設けられた渡し場である「かちどきの渡し」に由来。 戦前は、1日5回開閉。戦後の昭和22年(1947年)からは1日3回、昭和36年(1961年)からは1日1回。可動部は70°まで70秒で開きました。船が通る間、晴海通りは約20分間通行止めになりました。 生活物資などを運搬する交通手段は、昭和30年(1955年)に入ると船や鉄道から自動車に転換してゆきます。このた め、隅田川を航行する船が減少し、また勝鬨橋が渡している晴海通りの交通混雑が激しくなり、昭和45年(1970年)11月29日を最後に中止していま す。 と、隅田川の使われっぷりが、過去&現在、かなりのギャップをもって感じられる歴史を覚えることができました。 今年の11月には築地→豊洲へ魚河岸が移転する話もありますが、そんなイベントも、歴史としてどういった形で後世に刻まれるのだろうと、半分楽しみ、半分心配な状態で見守るばかりです。 こちらは2020年のオリンピック選手村と勝どきタワーマンション計画(といっても2013年の記事なので、すでに建築済のものも多数かもしれません)。 友人由来で親しみを感じた勝どき、なかなか興味深い話題が豊富で、いい勉強になります☆
Shumen 3, Bulgaria
シュメン訪問の折、その近郊にある街でブルガリア帝国時代の遺跡めぐりができたので備忘録です。 ・プリスカ Pliska シュメン市から30 kmほど外れた場所に、ブルガリア初の首都プリスカの遺跡があります。681~893年の間第1ブルガリア王国の首都でした。 この場所が首都となったのは、穏やかな高台に囲まれたこの平地が家畜の養殖に最適だったから、そして重要な道路の交差点にもなっていたことが起因しているそうです。 遺跡全貌のイメージを写真で見ると、かなりの広さの都市だったことがうかがえます。この日は雪で歩きづらく、全体像をはかるには、少しばかり難しく。そんな事情も承知してか、城跡見学のためのチケットブースは無人でした・・・。中の博物館でようやくチケット購入した形です。 城跡の説明はなかなかシンプルでしたが、ていねいに修復もされ、歩いて&見て楽しい空間でした。博物館には出土品の数々が展示され、描かれた文字や意匠などの解説が添えられていて、興味深い空間になっています。なお、ここから 1 km ほどのところにゴリャマ・バジリカという中世の教会跡も。 この時期に訪問したからこそ、人気のない空間でしたが、時期を選べば、なかなかの人の入りなのでは?と期待しました。 ・マダラ Madara こちらもシュメンから 18 kmほど。切り立った断崖に刻まれたレリーフが見どころ。なにげに世界遺産に登録されています(1979年)。 レリーフは、犬を従え、ライオンを踏みつける槍を持った騎士の姿。中世初期に描かれたものだそうで、23 m の高さにあるとのこと。現在も修復中なのか、足場が組まれています。 入口からレリーフまで、まっすぐに石の階段が組まれ、単に見学して戻るだけでよければ、15分もあれば完結してしまう、なかなかシンプルな世界遺産です。 石灰石でできた岩山なんでしょうか、見上げるようにそびえる岸壁に、レリーフが描かれているサマは、なにやらとても神秘的で、一見の価値ありと思ったのでした。マダラの街に、これ以外の観光ポイントが見当たらないのが少し残念ですが、世界遺産ですし、ちょっと立ち寄って拝んでいくのは、悪くない選択だと思います。 もう一つ、プレスラフ Preslav という街があります。こちらは第一次ブルガリア帝国が893年に遷都されたのちに栄えた都市。こちらの遺跡も見どころ満載のようですが、この度は時間切れでたどり着けず。冬は日の落ちるのが早いので、なかなか時間繰りが難しいです。時間の余裕をもって、次回リベンジができますように。 ご参考までに、ヴァルナとシュメン近郊の地図です。その間のプリスカ・マダラ・プレスラフの位置関係がつかみやすいかと。
Fukagawa sights, Tokyo
深川、門前仲町を散歩した備忘録。深川の見どころといえば、深川不動堂と富岡八幡宮。 深川不動尊は成田山新勝寺の別院です。Wikipediaの受け売りですが、江戸時代に歌舞伎で團十郎演じる不動明王(成田山にある)のホンモノを見たいという庶民の願いから、深川で秘仏特別公開が起こり、今の深川不動尊誕生に至ったそう。本堂は開創310年となる2011年にできたもので、梵字がびっしり集まった外壁に囲まれています。本堂へ気軽に?入ることができるので、ちょっとした好奇心もかなり満たされる空間です。毎日の護摩もありますが、28日の縁日を狙ってお参りすると、さらに賑わいを楽しめてよいそうです。 続いて富岡八幡宮。11月5日、17日、29日には酉の市が開催されるとのことで、準備中モードでした。こちらもWikipediaによれば1624年創建とのこと。境内には深川祭りの宮神輿が飾られています。日本最大だそうで、ガラス越しながら見ごたえありです。また、伊能忠敬像もあり、なぜかと調べてみたところ、当時深川在住で測量のための全国行脚の中も、安全祈願で富岡八幡宮詣でを欠かさなかったからだとか。2001年につくられたそうですから、新しいものです。 この富岡に隣接したエリアを門前町として古くから栄えてきて、いまの門前仲町があるのだそうです。いまでも、活気のある商店街が長く伸びていて、あてもなく歩いていても、退屈しないことうけあいです。 少し足をのばすと清澄庭園があります。もとは江戸時代の藩主のお屋敷だったのを三菱財閥岩崎家が預かり、現在は都営の庭園として管理されているそう。入園料ほんの150円で、豊かな自然を上手に配した日本庭園を楽しめます。この日はアオサギや一瞬ながらカワセミの姿が見られました。庭のあちらこちらに各地から運んできたと思われる岩が配されていて、岩の表情を楽しむのもひとつの愛で方かな、と思われました。 江戸の名残りを感じるエリア、たいへん味わい深い散策でした。またあらためて、賑わいを楽しみにゆっくり時間をとって訪れたいと思います。おススメです!
Tsukiji Hongwanji Temple, Tokyo
築地本願寺、外観はかねてから距離を置いておがんでいたものの、この度機会あって、本堂へ足を運んでみました。 築地本願寺は江戸期1617年、浄土真宗本願寺派の江戸別院として浅草に建てられたそうです。こちらが火事で焼失、佃島の門徒が海を埋め立てて再建、ここから「築地」の名前が生まれたとか。1679年再建当時は寺町だったのが、いまや魚河岸というのが面白いギャップだと思います。関東大震災で再び焼け、いまのインド様式を取り入れた石造りの外観になったのは、1934年のことだそうです。 建物正面の顔の部分、丸みを帯びた部分は本堂の屋根で、モチーフは菩提樹の葉。その中央に描かれているのは仏教のシンボルの花でもある蓮の花、とのこと。その建築を行ったのは、建築家の伊東忠太氏。当時の門主 西本願寺第22代大谷光瑞(こうずい)がインド・アジアへ仏教の源を求めて旅をしたことをきっかけに交流があったためだとか。伊東忠太氏はこのほかにも湯島聖堂や平安神宮を設計したそうで、随所に動物装飾をほどこした点も注目されているらしく、伊東忠太動物園(筑摩書房)なんて本も出されているそう。 身近な有名どころ、いろんな面白い話が眠っていたことを知りました。たまには、いつものコースをちょっと外れてみるのもいいものです。
Tekkinro, Shintomicho Tokyo
天ぷらをランチで美味しく楽しめるお店として親戚に勧められた 躍金楼(てっきんろう)を訪れた備忘録。明治6年創業 花柳界のできた頃から140年以上続く歴史ある割烹だそうです。 黒塀に柳と、たいへん風情のあるたたずまい、ひとりではチャレンジしづらいと感じてしまいそうですが、「すたんど」とおっしゃる正面右手の小さな入り口から、カウンターでいただける空間へ案内いただきました。ランチはかなりリーズナブルな価格設定。お刺身も美味しいとのススメにしたがい、天刺膳をいただきました。カウンター越しでカラリとあがった揚げたての天ぷらが、頃あいよく供され、たいへん楽しい時間を過ごしました。 お店を訪れた記念に、創業当時のお店の様子を描いたという浮世絵入りのコースターをちょうだいしました。お店の窓から築地方向の島が見渡せ、昼時には造船所からあがる煙が見えたとか。窓に居並ぶ女性たちが艶っぽくてステキです。こちらの浮世絵、「開化三十六会席」といって今で言うところのグルメガイド。そのポジションを今に伝え続けることのすごさを、ひとつのランチタイムながら、舌見させていただきました。尊敬モノです。たいへんステキな空間を紹介いただいたことに感謝。
New Grand Hotel in Yokohama
横浜、山下公園前にそびえるホテルニューグランドでランチをいただいてきました。 ホテルニューグランド、特に本館は、1927年の開業時の姿をそのままに、「横浜市認定歴史的建造物」「近代化産業遺産」に認定されているそうです。銀座和光などを設計した渡辺仁によるもので、マッカーサー元帥やチャーリー・チャップリン、ベーブ・ルースなど、多くの著名人が滞在したとか。 この度は、開業当時メインダイニングとしてスタートしたフェニックスルームへ通していただき、ちょっとユニークな和を感じるレトロな洋間で、美味しいフランス料理を楽しんできました。 帰り道に、山下公園をちょろりと散歩。山下公園はちょうどバラが見事に咲き始めたころで、これからが楽しみです。お天気のいい午後、散歩にはもってこいの空間でした。そして山下公園口(氷川丸横)から横浜駅までシーバスに乗船。片道700円で、ちょっと脱日常の方角からの景色を楽しみながらの15分を満喫しました。海側から見る景色ってやはりちょっと新鮮で面白いです。また、さらにいくつか橋をくぐっていくので、海から運河(?)へ幅が狭くなっていく視界の変遷なども楽しめてよかったです。
Wedding reception in Happo-en
入籍後、間もなく一年がたとうとしていますが、この度、白金台の八芳園で、親戚向けの披露宴を催しました。 いつうかがっても、美しいお庭が楽しめる八芳園、若干暑さを感じるほどのお天気に恵まれた10月3日の午後、親戚との朗らかな宴席を囲むことができました。お庭での集合写真を撮ることもでき、満点の一日となりました。お世辞もあろうと思われますが、親戚みなさま楽しんでくださったそう。喜んで良い時間を紡いでくださったようで、安心しました。ありがとうございます。 八芳園、もとは江戸幕府旗本の大久保彦左衛門の屋敷だったものが、その後、その主を転々とし、大正期に実業家 久原房之助の邸宅として、現在の12,000坪の敷地へと拡大。東京にして静寂のある大庭園が整備された。そして戦後、料亭などを広く展開していた長谷敏司と、庭園のある日本料亭として、1950年「八芳園」を創業、今に至っているとか。 60年を超えた歴史を刻むいまも、手を入れ過ぎない自然を生かした庭造りを続けていらっしゃるそうです。社員みなさまの、お客さまへの接し方もたいへん丁寧で、たいへん頼もしく、よい雰囲気で過ごすことができました。コミュニケーション、話し方や姿勢や笑顔、相手と気持ちのいい時間を過ごすためのちょっとした心がけみたいなものかもしれませんが、大切なことを学んだように思います。感謝です。
Exhibition Arita ware – 400 years history at Nihonbashi Mitsukoshi, Tokyo
電車の中吊りでみかけた「400年 有田の魅力展」に惹かれて、日本橋三越本店へ足を運んできました。 9月30日~10月5日と短期間ですが、来てみてよかった!と思うだけの品ぞろえに出会うことができました。 日本で最初の佐賀有田磁器が焼かれたのが1616年のこと、以降、江戸後期まで有田は国内いつの磁器生産地となったそう。そして1650年代には欧州へ輸出がはじまり、欧州王侯貴族階級で磁器ブームが起きたとか。 コーナーはこじんまりとした空間ですが、有田の名窯特集として、人気の窯のコレクション展示コーナーから、手の出るラインナップ、有田400年の歴史展示コーナーもあり(写真撮影禁止でしたが撮っちゃいました…)、絵付けワークショップなども開設。足を運んでよかったな、と思わせてくれるクオリティとボリュームでした。400年ですから、江戸時代からです。そんな歴代の品も展示があり、若干かぶりつきになりました。個人的に気に入ったのが深川製磁がパリ万博に出した絵皿です。香蘭社も好きですが、深川製磁がいいです。有田焼が集合している空間をあらためて眺めて初めて覚えた感覚でした。面白いです。色の出し方、線の描き方、風合い、あと表現しがたい雰囲気、自分の好きがヒットする感覚をいくつか試せた、そんな楽しい時間でした。 日本橋三越さんの企画に、大感謝です。ありがとうございます。会期は短いですが、興味と機会があれば、おススメします。桂由美コレクションも同じフロアでやってます。こちらは有料ですが、数々のお花が届いていて、それもまた見て楽しい空間になってました☆